君は毎日を一生懸命生きていますか?

愛媛LETSカウンセラーの体験談

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僕が今こうしてLetsの生徒たちと関り合う仕事にたずさわっているきっかけは、僕が中学生だった頃の経験にあります。

僕は中学校に入学してすぐ、いじめにあうようになりました。

中学校入学前のことです。
自転車で橋の上を走っていると、僕はすれ違った
同い年くらいの見知らぬAという少年に『おい!ちょっと待て!』と
呼び止められました。
自転車で足を()んだから慰謝料(いしゃりょう)を払え、とAは言うのです。
言いがかりです。
僕は足など()んでいないのですから。もちろんお金を払うこともなく、
僕は無視して自転車で走り去りました。
これがいじめのきっかけです。たったこれだけの出来事が。
この時の僕はこんな些細(ささい)なことがきっかけで、
夢や希望に胸をふくらませていた中学校生活が悪夢のような毎日になるなんて
思いもしていませんでした。

中学校に入学して数日後、同級生として同じ学校にいることに
僕とAはお互いが気付きました。
その日から、Aからの『パンを買って来い!』『鉛筆を貸せ!』など、
僕自身にとってたいしたことではありませんでしたが、
鬱陶
(うっとう)
しい命令が始まりました。
そのうち『金を貸せ!』『家まで送れ!』と、
命令がエスカレートしていきました。
さすがにこの頃には僕も命令を聞かなくなり、
Aとは出来るだけ顔を合わせないようにしていました。
すると今度は、
『自転車が壊される』『 下駄箱(げたばこ)に給食の残飯(ざんぱん)が入っている』といった陰湿(いんしつ)な嫌がらせが始まりました。

Aは学年一の『ワル』でした。
当時、ワルと言えば…
学校でタバコやシンナーを平気で吸う
先生のネクタイをはさみで切ったり、先生に暴力を振るう
学校にはバイクで登校する
廊下(ろうか)(つば)()き、誰かれかまわず因縁(いんねん)をふっかける
と、最悪な時代でした。

ある日、僕は塾で同級生Sと一緒になりました。
Sはワルではありませんが、まじめでもなく、どちらかというとこの年頃特有の格好(かっこう)つけてワルぶっている、『ワル』に少し(あこが)れを抱いているような生徒でした。
そのSと、Aの事で会話が盛り上がりました。
もちろん内容は、Aに対しての良い話ではなくいわゆる悪口です。
しかし後日、
このなんとなく盛り上がったSとの会話がとんでもない事を引き起こすのです。
次の日の昼休み、僕はAに呼び出されました。
渋々(しぶしぶ)行くと10人くらいのワルが集まり、その中心にAがいました。
Aは僕に向かって
『オイ! 俺がこの世からおらんようになったらえぇのにってお前言うたんか!?』
『俺が鑑別所(かんべつじょ) や少年院に入ったらえぇのにってお前言うたんか!?』
と叫び出しました。
Aが僕に向かって叫んでくる言葉は、昨日塾でSと盛り上がった時に話した内容でした。
そうです、『ちくられた』のです。
そう思った僕にむなしさと恐怖が同時に(おそ)ってきました。ただ、普段からAに対してストレスが()まっていた僕は、Aに向かって『言ったけど関係ないやろ!』と言いました。
その瞬間、Aが僕に(なぐ)りかかってきました。
その後は、(なぐ)()る、頭を壁に(たた)きつけるといった暴行が続いたのですがあまり記憶がありません。
先生が止めに入りましたが止まりません。
先生も怖いので本気で止めていないことは(なぐ)られている僕にもわかりました。
先生に対して『(くや)しい』という思いが僕の中に芽生(めば)えたのは、この時が初めてでした。
かなり時間が()ち、学校中の注目を浴びながら僕は救急車で運ばれました。
2週間の入院、2週間の自宅静養(じたくせいよう)全治(ぜんち)1ヶ月でした。
いわゆる、『リンチで病院送り』というものです。

この時の僕の気持ちがわかりますか?
経験者でないとわからないでしょうね…。
学校にいた人みんな、
僕がリンチされているのを見ていたのに誰一人助けてくれなかった。
僕は1ヶ月、病院で、家で天井(てんじょう)を見ながらずっと考えました。
友達ってなんだ?
先生ってなんだ?
学校って?
親って?
色々な『?』が(おそ)ってきたけど、答えは何ひとつ出てきませんでした。
たぶん周りの大人に聞いても僕が満足のいく答えなんて得られなかったと思います。
だって、その人たちは僕と同じ経験をしていないのだから。

1ヶ月()ち、体が回復した僕に『学校へは行きたい』という思いが不思議(ふしぎ)とまだ少しは残っていました。
仲のいい友人や部活の仲間がいたからです。でも、それすら消し去ろうとする
『学校へ行くのが恥かしい』という思いが大波のように押し寄せてきてもいました。
自分はケンカに負けた『へたれ』だという男としての恥かしさ…
全校生徒からの野次馬(やじうま)的な視線…
はれものにさわるように
迷いながら接してくる先生や大人たちとの微妙(びみょう)な距離感…
そして、Aとの再会…
学校へ行きたいという小さな思いが後ろへ引っ張られて、
一歩前に()み出す勇気がなかなか持てませんでした。

しかし、僕は心の中で1つだけ決め(みずか)ら学校へ行こうと決心しました。
僕が心の内に()めた決断はこうでした。
『今度また同じ事が起ころうとした時には、Aを()し殺してやる!』
中学生の僕なりに思いつめた決断でした。
大人になった今の僕には、その決断に(いた)る前に色々な選択肢(せんたくし)があること、そこまで思いつめなくても他の道もあること、そしてその他の道が決して逃げるための道ではないことがわかります。ただ、学校へ行くこと、そして学校で身を守るための手段としてのこの決断が、僕が一歩踏み出すための唯一(ゆいいつ)の選択だと、中学生の僕は思っていたのです。

そして僕は学校に行きました。
皆の視線や先生たちの微妙(びみょう)な空気は予想通りでした。Aとも再会しました。しかし、Aは僕に対してもう何もしてきませんでした。僕が思うには、僕の思いつめた殺気(さっき)がAにも伝わったのでしょう。それから僕は普通に中学校を卒業し高校へ行きましたが、目標も夢も希望もない学生生活をなんとなく過ごす人間になってしまいました。僕の中であの日の事件がトラウマになり、呪縛(じゅばく)のように僕自身を(しば)っていました。そしてその呪縛(じゅばく)は、ストレスやコンプレックスを僕に植え付けていきました。

その頃の僕は、ブルース・リーやジャッキーチェーンに(あこが)れていました。
僕も強くなりたい!単純にそう思ってはいましたが、何もしていませんでした。
なんとなく過ごす生活の延長線(えんちょうせん)でなんとなく大学に入りましたが、相変わらずやりたいこともなく希望も何もない大学生活を過ごしていたある日、一枚のポスターが目に()まりました。
そのポスターは『極新空手(きょくしんからて)』のポスターでした。
何となく導かれるように道場に見学に行きました。
始まりの和太鼓(わだいこ)の音を聞いた瞬間、それまで漠然(ばくぜん)としか考えていなかった、強くなりたいという思いが(あふ)れ出てきてすぐに入門(にゅうもん)を決めました。

それからの大学生活は、空手の練習で明け暮れることになりました。
もちろん、練習は生半可(なまはんか)なものではありません。ただ、それまで何に対しても夢や目標が抱けず時間が過ぎていくのをじっと見つめていた僕にとって、人生最高に楽しい時間でした。
練習を繰り返すたびに自分が強くなっていくことを実感でき、あきらめず前に進む強さも学びました。
仲間もできました。
緊迫(きんぱく)した空気と張り()めた緊張感の中での試合では、入賞を果たすことができ初めて達成感を知りました。
毎日が充実していました。
肉体的に(きた)えられたせいか、僕自身を(しば)っていた呪縛(じゅばく)()け、徐々(じょじょ)に自信が生まれていくのを実感する毎日でした。そして、空手をやり始めてからは人に(から)まれることもなくなりました。
その時に、体を(きた)えることは結果的に自信や前に()み出す勇気、そして目標をも生むのだと確信しました。もちろん、ケンカに勝てるから心が強くなるというのではなく、体を(きた)える過程(かてい) が心を強くするのだと思っています。
僕自身が経験した気持ちやその変化、悩みなどから得たものを子供たちにアドバイスしてあげたい、そう思ったことがウィッツ青山学園高等学校で今仕事をしているきっかけになっています。
ウィッツ青山学園高等学校愛媛LETSには体を (きた)える環境も、(から)(やぶ) るきっかけを与えてあげられる先輩もいます。
自分が変わるきっかけが、外ではなく内にあると気づいても、一度閉じこもった(から)(やぶ)るには勇気がいります。
そしてその(から)はものすごく(かた)く、一人で中から(たた)いてもなかなか(やぶ)れません。でも、外から少しだけひびを入れてあげると、中から少しの勇気で(やぶ)ることができます。
そのひびを入れてあげることが愛媛Letsで働く僕の役目です。一人で何でも出来る人はいません。どんな人にだって周りの支えが必要なのです。
僕は今、Letsの生徒たちと一生懸命毎日を生きています。
君は毎日を一生懸命生きていますか?

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